「時間は本来無目的、非連続である。刹那生滅、刹那生起、いはば無意味なことの無限の反復が時間というもののあらはな姿といってよい。目的へ向かって進んでいるのではないといふ点からいへば、虚無、死、寂静へ向かって進んでいるのではないかといふことになる。反って、時間は、念々が虚無につながっている。無始無終の非連続の谷間には、虚無の底なき深淵がのぞいている。反復の間は虚無である。そして、これこそまさにニヒリズムといってよい。時間は虚無を根底とする無意味なことの、果てしないくりかへしである。…ひとはこの冷厳なニヒリズムに堪へることができなくて、さまざまな意匠をつくりだす。時間が始めもなく終わりもまたない無限の反復であるといふことは、現在といふ時点から一切の意味、価値を奪ふということである。ひとは意味なくして生きるだけの勇気をもたない。かくしてさまざまな意味づけが行はれ、意味づけるために時間を装飾する。」(唐木順三『無常』)