「壁がある、と書きかけて、私は息をつめる。私は金縛りにかかったかのように、動けなくなった。そこに壁がある、と言うことを、誰が信じてくれようか。 私は、『私が』壁を見た、と言いかえようとした。これは事実である、少なくとも、私が見た、と言うことは、私にとっては、疑うべからざる事実である。しかしこう言ってもやはり、他人には、疑えば、疑えるのである。他人ばかりではない、私にとっても、これは自信のある言明ではない。私が見た、と言うことが、たとえ、確かであろうとも、それが果たして壁であろうか、壁とは何であるか、と聞きかえされると、いまの私には、すぐには答えられない。私は、答に行きつまるのである。壁に対しての、こうような行きづまりは、私が建築家である、と言う自覚の故である。私には、壁を、単なる言葉として、単なる約束として、あいまいな儘で見逃すことができないのである。」(増田友也『壁と私と空間と』)