「生温い磯から、塩気のある春風がふわりふわりと来て、親方の暖簾を眠たそうに煽る。
身を斜にしてその下をくぐり抜ける燕の姿が、ひらりと、鏡の裡に落ちて行く。
向うの家では六十ばかりの爺さんが、軒下に蹲踞まりながら、だまって貝をむいている。
かちゃりと、小刀があたるたびに、赤い味が笊のなかに隠れる。殻はきらりと光りを放って、二尺あまりの陽炎を向へ横切る。
丘のごとくに堆かく、積み上げられた、貝殻は牡蠣か、馬鹿か、馬刀貝か。
崩れた、幾分は砂川の底に落ちて、浮世の表から、暗らい国へ葬られる。
葬られるあとから、すぐ新しい貝が、柳の下へたまる。
爺さんは貝の行末を考うる暇さえなく、ただ空しき殻を陽炎の上へ放り出す。
彼れの笊には支うべき底なくして、彼れの春の日は無尽蔵に長閑かと見える。」(夏目漱石『草枕』)