「誰もが度肝を抜かれるほど先鋭的なものを創造する鍵は、誰もが度外視している古臭いものの中に隠れていたりする。」(『ザ・レフト』)
「住宅は生活のすべてをかけた強烈な芸術である。」(篠原一男)
「住宅は自由を高らかに表明することで、この巨大な社会のなかに生きる確実な、そして唯ひとつの存在理由をもつことができる。」(篠原一男)
「世界は生者だけで成り立っているものではない。」(石山修武)
「生きることは闘うことであり学ぶことだ。 その三つがセットになっていてこそ人間は自立できる。」(生闘学舎)
「青山真治の中編『すでに老いた彼女のすべてについては語らぬために』では、中野重治と夏目漱石が皇居を舞台に競演し、相米慎二にオマージュを捧げる。これを見ずにいるあなたは、保守反動と呼ばれる覚悟とともに、「映画の現在」から遠ざかるしかあるまい。」(蓮實重彦)
「それが私の中に根底としてあった。底土としてあった。」(中野重治)
「ジャズは肉体の音楽である。肉体の音楽であるばかりか肉体労働的な音楽だ。フラメンコも艶歌も弦楽四重奏もチンドン屋もジャズも、一般に生の音楽というものは感動的だ。」(平岡正明『ジャズよりほかに神はなし』)
「書くことは政治的活動だった。そして、詩は文化的武器だった。」(Linton Kwesi Johnson)
「かれらがなんであるかは、かれらの生産と、すなわちかれらがなにを生産し、またいかに生産するかということと一致する。」(カール・マルクス『新版ドイツ・イデオロギー』)
「私は今までいろんな物を作ってきました、人に頼まれて。最近人生って実は人から頼まれたことをやることのように思えてきました。」(あるブログより)
「過去が豊かである。」(平岡正明『Plenty,Plenty Soul』)
「風土的な建築は流行の変化に関わりがない。それは完全に目的にかなっているのでほとんど不変であり、まったく改善の余地がないのである。」(バーナード・ルドフスキー『建築家なしの建築』)
「かつて武士社会ではどんなに暑くても、袴を着けてビシッとして殿様に会いにいっていたわけです。ここで日本人の心の中に忍耐、忍従という心が生まれてきます。忍耐していくとどうなるか。心がゆがんでくるし、捻れてきます。この忍耐、忍従の心が数寄屋建築を生み、茶室建築を生んだのです。それは数寄屋建築の床柱に見られる、あのギューッとし捻れていたり、グニャーッとゆがんでいたりする、ああいう美学を生み出したのです。日本の美学はすべてにおいて、この高温多湿からくる、忍耐、忍従に支配され、負の美学を生み出してきたのです。」(出江寛)
「日本の美学のすばらしいのは、貧乏人のための、庶民のための美学を生み出したことです。これが数寄屋の美学です。これは世界に誇れる美学です。ところが今や数寄屋は大金持ちでないとできなくなってしまいました。利休の思想から発した数寄屋の心は、ある特殊な人のためのものではありませんでした。むしろ貧乏人のための美学だったのです。」(出江寛)
「だめになるものは、だめになればいい、というのは、だめなもの、だめな関係、嘘なものを取りつくろいながら先送りして、結果だめになるまでの時間を引きのばして生きていてもつまらないから、思い切ることだ。」(小玉和文『空をあおいで』)
「私は谷川で青鬼の虎の皮のフンドシを洗っている。私はフンドシを干すのを忘れて、谷川のふちで眠ってしまう。青鬼が私をゆさぶる。私は目をさましてニッコリする。カッコウだのホトトギスだの山鳩がないている。私はそんなものよりも青鬼の調子外れの胴間声が好きだ。私はニッコリして彼に腕をさしだすだろう。すべてが、なんて退屈だろう。しかし、なぜ、こんなに、なつかしいのだろう。」(坂口安吾『青鬼の褌を洗う女』)
「ある文化が他の文化よりもすぐれていると考えることは、私たちには許されなかった。それに人種のことをとやかく言うと、こっぴどく批判されたものだ。当時そこでは、人間個々人のあいだに(優劣の)差異というものは存在しないと教えていた。いまでもそう教えているかもしれない。もうひとつ人類学科で学んだのは、この世に、奇矯とか、性悪とか、低劣といわれる人間は、ひとりもいないということである。」(カート・ヴォネガット)
「曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた。そこには芸術も宗教もあった。いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである。宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い。芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した。いま宗教家・芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである。われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ。いまやわれらは新たに正しき道を行き、われらの美をば創らねばならぬ。芸術をもてあの灰色の労働を燃せ」(宮沢賢治「芸術をもてあの灰色の労働を燃せ」)
「労働には二種類ある。生活を楽しく晴れやかにする労働と、単なる生活の重荷でしかない労働だ。一方には希望が含まれており、他方にはそれがない。前者をおこなうのは、人間らしく、後者の労働は、拒否するのが人間らしい。大事なのは、労働者が労働のなかで変化とよろこびを手に入れることだ。これによって、すべての労働によろこびという刻印が押される。だがこれらは、文明社会の労働からは消え失せてしまった。」(ウィリアム・モリス「意義ある労働と無意味な労苦」)
「人類がせめて一度だけでも、のんびりしているのを見られたら、どんなにすばらしいことだろう。ところが、仕事、仕事、に次ぐ仕事だけなのだ。僕たちが偏狭なのは、目的ではなく、手段にすぎない貿易や商業、工業、農業というようなものへの献身によって、僕たちがゆがめられ、せばめられてしまったからである。人が金を得るための道は、ほとんど例外なしに、人を堕落させる。ただ金を稼ぐために何かをするということは、怠けているのと同じか、それよりも悪い。あらゆる偉大な事業は、自給自足的である。生計は愛することによってたてなければならない。」(ヘンリー・デヴィッド・ソロー「無原則な生活」)
「民族学とは、未開社会という特殊な対象によって定義される専門職ではなく、いわば、ひとつのものの考え方であり、自分の社会に対して距離をとるならば、私たちもまた自分の社会の民族学者になるのである。」(モーリス・メルロ=ポンティ)
「気をつけなくてはならないが、カーニバルやパーティーの媒体となる「ハーメルンの笛」は「革命」や「運動」のためのプロパガンダの道具や拡声器ではない。笛や拍子にノッて、人が踊ること、我を忘れて陶酔することのなかに、システムから降りる、「世間」から離脱するヴァイブスとグルーヴがある。次の社会、未来の制度を準備するイデオロギーや主義、政策ではなく、拍子(ビート)と舞(ダンス)のなかに宿る精神、あるいは情動こそ、本当に権力が恐れる非暴力、暴力よりもねばり強い非暴力のコアなのではないか」(上野俊哉『思想の不良たち』)
「そこには人間の感覚への媚といったものが微塵も見られない。こうした虚飾らしさのまったくない素面とでも呼べるような空間のなかにいると、いささか唐突かもしれないが、日本の数寄屋建築や廃墟の空間との類似を秘かに連想してしまうのだ。そこれは意識のまなざしが、簡素な材料の表面を追いながら原型的なイメージを模倣し、再生産し、やがてまなざしは意識の領域を越え、イメージとなって幾重にも現れてくるのである。」(藤井博己「アルド・ロッシと建築」)
「貧弱形態(フォルマ・ポーヴェラ)による成功は、貧弱材料によってますますところを得ているようだ。…1960年代のなかば、トリノの芸術家グループによってジェノヴァで開かれた展覧会に出品した作品を美術評論家G・チェランは『アルテ・ポーヴェラ』と命名している。それは貧弱な材料、ボロ布、木、石膏、わら土などによって制作されていた。」(「イタリア現代建築とアルド・ロッシ」)
「その禁欲的な限定が建築が意味を生み出す社会的な基盤つまり現実をもっとも効果邸に浮き上がらせる。…ロッシの建築がこの私たちを取り巻く都市の純粋な本質などではさらさらないし、いや、それが投入されることによって現実の不安定さを認識させる作用こそが求められたのだった。過去と現在、類型と混乱のあいだを振り子のように漂い、この澄みきった素っ気ない建築が現実とそのあいだに力動的な関係を生み出す作用そのもの。それをまさにあの鮮やかな色彩が塗りつけられ、物が断片的に拾い出されたドローイングは示そうとしていたに違いない。」(富永譲「図・言葉・建築」)
「我々は後ろ向きに前進する。」(平岡正明『大道芸および場末の自由』)
「私は彼と密着して焼野の草の熱気の中に立つてゐることを歴史の中の出来事のやうに感じてゐた。これも思ひ出になるだらう。全ては過ぎる。夢のやうに。何物をも捉へることはできないのだ。私自身も思へばたゞ私の影にすぎないのだと思つた。私達は早晩別れるであらう。私はそれを悲しいことゝも思はなかつた。私達が動くと、私達の影が動く。どうして、みんな陳腐なのだらう、この影のやうに!私はなぜだかひどく影が憎くなつて、胸がはりさけるやうだつた。」(坂口安吾『続・戦争と一人の女』)
「日本の都市の民家は全て軍需工場だった。ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。」(カーチス・ルメイ)
「昔、クリストファー・アレグザンダーは、伝統的な町が新しく計画された町に対して、何故調和しているのかという基本的問題について、それを無自覚なプロセスというキーワードで明瞭に説明した。それは全体の調和を壊してしまうような力が、それぞれの主体にはなかったからである。どうやろうとも調和は崩れようもなかったのだと。しかし彼も言うように、その世界はとうに過ぎ去っている。この自覚された社会においては、無自覚に何かをすると、すぐに精妙なハーモニーは崩れ去る。じゅうぶんに自覚された無自覚なプロセスへの検討が、現在の住まい造りにおいては欠かせないのである。」(中谷礼仁「住まいは誰のものか」)
「つまり過去の事物は、規模の大小にかかわらずこのようにして、ことさら意識もされないうちに、現在に強大な影響を与えている。過去に作られたものとはいえ、そこにある限り、それは現在的なものとして扱わざるを得ないのではないか、と考えたのである。過去は「あった」のではなくて「いる」。むしろ現在は過去からの投影によって成り立っている。」(中谷礼仁「歴史工学とは何か」)
「家とはヒトのなかの 化モノのための時間を確保し、収納しているのである。 化モノが収納されなければ、公的社会は成り立たなかったのである。」(中谷礼仁「化モノ論ノート」)
「ニューヨークを醜いと言って憚らない人たちは、幻覚の犠牲になっているに過ぎない。」(レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』)
「伝統の美だの日本本来の姿などというものよりも、より便利な生活が必要なのである。京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車が動かなくては困るのだ。我々に大切なのは「生活の必要」だけで、古代文化が全滅しても、生活は亡びず、生活自体が亡びない限り、我々の独自性は健康なのである。」(坂口安吾『日本文化私観』)
「人間が国をしょってあがいているあいだ、平和などくるはずはなく、口先とはうらはらで、人間は、平和に耐えきれない動物なのではないか、とさえおもわれてくる。」(金子光晴『絶望の精神史』)
「われわれは新しい民家をつくるべきだと思います。住宅であるだけでなく、民家をね。民家は伝承していくものですよ、それがすぐにつぶれちゃったらまずいでしょう。」(立松久昌)
「土地には土地の歴史があり、町や村には住む人の哀歓に充ちた生活の痕跡がある。民家はその土地の文化の身分証明書のようなものだ。」(伊藤ていじ)
「論理の核としての思想のきらめく稜線だけを取り出してみせる」(芥川龍之介)
「それは、我々が生き、共有し、抵抗し、拒絶し、解体し、良い方向へ変えていこうとしていることばかりの、虚無的までに悲しい物語を証明し、伝え、変容させる音楽だ。」(Godspeed You! Black Emperor)
「おまえは歌うな おまえは赤ままの花やとんぽの羽根を歌うな 風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな すべてのひよわなもの すべてのうそうそとしたもの すぺてのものうげなものを撥き去れ すべての風情を擯斥せよ もっぱら正直のところを 腹の足しになるところを 胸さきを突き上げてくるぎりぎりのところを歌え たたかれることによって弾ねかえる歌を 恥辱の底から勇気を汲みくる歌を それらの歌々を 咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ それらの歌々を 行く行く人びとの胸郭にたたきこめ」 (中野重治『歌』)
「そこは虚妄と真実が混沌たる一つにからみあった狭い、しかも、底知れぬ灰色の領域であって、厳密にいえば、世界像の新たな次元へ迫る試みが一歩を踏み出さんとしたまま、はたと停止している地点である。」(埴谷雄高『不合理ゆえに吾信ず』)
「悲しみ、苦しみは人生の花だ。悲しみ苦しみを逆に花さかせ、たのしむことの発見、これをあるひは近代の発見と称してもよろしいかも知れぬ。」(坂口安吾『悪妻論』)
「カオスは決して滅びてはいない。原始の未だ刻まれていない岩塊、唯一尊敬すべき怪物、緩慢でのびのびとしていて、(バビロン以前の影にも似た)あらゆる神話よりも紫外線を多く発しているこの最も初めで未分化の存在の一者性は、未だにアサッシン派の黒色三角長旗のような静穏をまき散らし、でたらめで、そして永久に酩酊しているのだ。」(ハキム・ベイ『カオス』)
「政治は政治家のためにある。彼らは自分の死臭を隠すために、香水とコロンをつけて、カラフルなネクタイを着用する。私たちはその悪臭からできる限り離れて生きていたいと思っている。」(godspeed you! black emperor)
短い文章を書きました。→10+1 web
「空間は、頭で考える概念的なものでなく、切ったら血のでるみずみずしいものである。」(西澤文隆)
「思ふべし、汝等家を捨て郷を離れし時、一粒の蓄へなく一糸をも懸けず、孤露にして遊行す。只道眼の為に身を任せ、法の為に命を捨つべし。」(瑩山『伝光録』)
「感情の深さや真正しさは、言葉を見つけられないことによって計られる。」(サイモン・フリス)
「僕は日本の古代文化に就て殆んど知識を持っていない。ブルーノ・タウトが絶讃する桂離宮も見たことがなく、玉泉も大雅堂も竹田も鉄斎も知らないのである。況んや、秦蔵六だの竹源斎師など名前すら聞いたことがなく、第一、めったに旅行することがないので、祖国のあの町この村も、風俗も、山河も知らないのだ。タウトによれば日本に於ける最も俗悪な都市だという新潟市に僕は生れ、彼の蔑み嫌うところの上野から銀座への街、ネオン・サインを僕は愛す。茶の湯の方式など全然知らない代りには、猥りに酔い痴れることをのみ知り、孤独の家居にいて、床の間などというものに一顧を与えたこともない。」(坂口安吾『日本文化私観』)
「学道の人は先づすべからく貧なるべし。」(道元『随聞録』)
「夜明けは間もない。この四畳半よ。コードに吊るされたおしめよ。すすけた裸の電球よ。セルロイドのおもちやよ。貸ぶとんよ。蚤よ。僕は君らにさよならをいう。花を咲かせるために。僕らの花。下の夫婦の花。下の赤ん坊の花。それらの花を一時にはげしく咲かせるために」(中野重治『夜明け前のさようなら』)
「すべての風情を擯斥せよ。もっぱら正直のところを、腹の足しになるところを、胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え。」(中野重治)
「『物の見へたるひかり、いまだ心にきえざる中にいひとむべし』 といふのが俳人芭蕉の最奥義であつた。ひかりの中に物が見える。この場合の物は尋常の物ではない。作られた自然としての存在物ではない。造化、乾坤のなかに位置をしめる個物、全體の中における特殊である。あはれに消え去る變の中に、不變が光る。或ひは不變が變において光りかがやく。この消えゆく瞬間を言葉によつて定立せよ、といふのである。風雅のたねはここをおいて外にない。」(唐木順三『千利休』)
「いはば待庵はわび自體である。わびの極北である。わび自體といふことは、私のわびの對比とする考へからいへば矛盾槪念である。對立物を失へばわびもまた消失してしまふのがわびの運命である筈なのに、不思議にここにはわび自體といふ形がある。」(唐木順三『千利休』)
「『非』と『と同時に』は、Aが置かれた場所の境界を、さまざまに出現する可能態としての場所の境界と重ね合わせる多層性によって、曖昧にするであろう。それが『無境』である。したがって、無境は、ここでは『中道』ではなくて、出現の誘起であり展開なのである。」(原広司「<非ず非ず>と日本の空間的伝統」)
「時間は本来無目的、非連続である。刹那生滅、刹那生起、いはば無意味なことの無限の反復が時間というもののあらはな姿といってよい。目的へ向かって進んでいるのではないといふ点からいへば、虚無、死、寂静へ向かって進んでいるのではないかといふことになる。反って、時間は、念々が虚無につながっている。無始無終の非連続の谷間には、虚無の底なき深淵がのぞいている。反復の間は虚無である。そして、これこそまさにニヒリズムといってよい。時間は虚無を根底とする無意味なことの、果てしないくりかへしである。…ひとはこの冷厳なニヒリズムに堪へることができなくて、さまざまな意匠をつくりだす。時間が始めもなく終わりもまたない無限の反復であるといふことは、現在といふ時点から一切の意味、価値を奪ふということである。ひとは意味なくして生きるだけの勇気をもたない。かくしてさまざまな意味づけが行はれ、意味づけるために時間を装飾する。」(唐木順三『無常』)
「禅の考え方が世間一般の思考形式となって以来、極東の美術は均斉ということは完成を表わすのみならず重複を表わすものとしてことさらに避けていた。意匠の均等は想像の清新を全く破壊するものと考えられていた。」(岡倉天心『茶の本』)
「隅田川はどんより曇つてゐた。彼は走つてゐる小蒸汽の窓から向う島の桜を眺めてゐた。花を盛つた桜は彼の目には一列の襤褸のやうに憂欝だつた。が、彼はその桜に、――江戸以来の向う島の桜にいつか彼自身を見出してゐた。」(芥川龍之介『或阿呆の一生』)
「この心を存せんと欲はば、先ず須く無常を念ふべし。一期は夢の如し、光陰移り易く、露の命は待ちがたうして、明くるを知らぬならひなれば、ただ暫くも存したる程、聊かの事につけても、人の為によく、仏意に順はんと思ふべきなり。」(道元)
「数寄屋は好き家である。そこにはパッサージュだけがある。」(岡倉天心『茶の本』)
「砂のがわに立てば、形あるものは、すべて虚しい。」(安部公房『砂の女』)
「氷ばかり艶なるはなし。苅田の原などの朝のうすこほり。ふりたるひはだの軒のつらら。枯野の草木など、露霜のとぢたる風情、おもしろく、艶にも侍らずや。」(心敬)
「群集のなかに無理やり割り込んで消えてゆく通行人もいたが、自分のまわりにゆとりある空間を確保し、無職渡世を捨てようとしない遊歩者もいた。大多数の人々は自分の仕事に精を出さねばならないわけで、遊歩者が都市をほしいままに徘徊できるのは、彼がまさに無職の渡世人としてすでに社会の枠組みからはみ出している場合だけである。完璧に安逸な金利生活者の世界からも、都市の熱病的な雑踏の世界からもはずれた、彼は文字通りの制外者であった。」(ヴァルター・ベンヤミン『ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて』)
「壁がある、と書きかけて、私は息をつめる。私は金縛りにかかったかのように、動けなくなった。そこに壁がある、と言うことを、誰が信じてくれようか。 私は、『私が』壁を見た、と言いかえようとした。これは事実である、少なくとも、私が見た、と言うことは、私にとっては、疑うべからざる事実である。しかしこう言ってもやはり、他人には、疑えば、疑えるのである。他人ばかりではない、私にとっても、これは自信のある言明ではない。私が見た、と言うことが、たとえ、確かであろうとも、それが果たして壁であろうか、壁とは何であるか、と聞きかえされると、いまの私には、すぐには答えられない。私は、答に行きつまるのである。壁に対しての、こうような行きづまりは、私が建築家である、と言う自覚の故である。私には、壁を、単なる言葉として、単なる約束として、あいまいな儘で見逃すことができないのである。」(増田友也『壁と私と空間と』)
「道徳ほどつまらないものはない。道徳は未だかつて良心の良の字も生み出したことはない。国民の九十パーセント強は一生良心を持つことはない。」(芥川龍之介)
「我々のような平凡が人間が、どう、いい建築をつくっていくか。大事なのは、平凡性を高めるということです。私の建築は、この『俗』が常にテーマです。俗語の本質、これが大事なんですね。俗語の本質とは、『面白い』ということです。パチンコ屋に行ったり、競馬場に行ったり、ストリップ小屋に行ったり、というあの俗っぽい世界。高貴の世界というのは面白くないんです。道徳の世界は面白くないんです。しかし、『俗』をテーマにして『俗』に落ちてしまったらだめです。『俗』をテーマにしながら『俗』を離れないといけません。『俗』の中にこそ面白いものがあるのですから、難しい本を読んで哲学者みたいな顔をしていたら、ろくなことがないと思います。建築家は勇気を持って俗の中に浸らなければいけないと思います。」(出江寛)
「今世紀の建築は失敗だった、と私は言いたい。」(出江寛)
「過去と云う怪しき物を蔽える戸帳が自ずと裂けて龕中の幽光を二十世紀の上に反射するものは倫敦塔である。すべてを葬る時の流れが逆しまに戻って古代の一片が現代に漂い来れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り残されたるは倫敦塔である。」(夏目漱石『倫敦塔』)
「塔その物の光景は今でもありありと眼に浮べる事が出来る。前はと問われると困る、後はと尋ねられても返答し得ぬ。ただ前を忘れ後を失したる中間が会釈もなく明るい。あたかも闇を裂く稲妻の眉に落つると見えて消えたる心地がする。倫敦塔は宿世の夢の焼点のようだ。」(夏目漱石『倫敦塔』)
「俺が音楽の道を選んだ理由のひとつに、競争というくだらないものに関わりたくないという理由があった。俺は自分が野心家ではないと話したが、じつはそうではなくて競争心がないということなんだ。野心はあるが、競争なんてしたくない。野心はあってもいいけどがんばるな。」(アンドリュー・ウェザオール)